実地の調査以外の調査について

税務署から所得税の申告について聞きたいことがあると電話があった。

確定申告書の間違いを指摘され、訂正が必要なことを知り、こちらが認めると最後に「税務署側で更正しておきます。結果は後日通知を郵送します。」と言われた。

 

あまりのできごとに驚いてしまったが、よくよく調べてみると“実地の調査以外の調査”という税務調査であることがわかった。

 

申告書の誤りは認めるものの、行政指導か税務調査かの区別をあいまいにしたまま、最後に「こちらで更正しておきます。」というのでは納得がいかない。そもそも国税通則法改正の趣旨は、調査手続の透明性及び納税者の予見可能性を高めることにある。そのうえで調査の事前通知や結果の通知が法令上明確化された。にもかかわらず、法律においてほとんど手続きが規定されていない「実地の調査以外の調査」という領域で更正処分を行うことは調査手続きが不透明になり、予見可能性も損なわれることとなり、法の立法趣旨に逆行する行為である。

 

また国税通則法74条の13では調査(“実地の調査以外の調査”も含まれる。)をする場合、職員の身分を示す証明書を携帯し、関係人の請求があったときは、これを提示しなければならないとしている。そもそも電話での“実地の調査以外の調査”は身分証の提示を求めたくても求められないという状況においての調査である。となると電話での調査は法令が予定している調査でないことは明らかである*1。Q&Aや通達で法令以上にその範囲を拡大することはもってのほかである。

*1:金子宏「租税法(第二十版)p851」では“通則法74条の13の規定は、単なる訓示規定ではなく、強行規定であって、これに違反する質問・検査は違法であり、それに対しては応答義務ないし受忍義務は生じないと解すべきである。”としている。

国債と租税

資本論では本格的に税制や財政について論じてはいない。しかし、ちょっとした話の横道にも物事の本質を突く、鋭い指摘がある。国債発行のツケは消費税へと形を変え国民が背負うことになる。マルクスの指摘では消費税を指しているが、法人税でも理論的には製品価格に税が転嫁される。国の借金はどういう意味を持つのか。古くて新しい問題であり、今なおその意味は確定していない。

 

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 国債の裏づけとなるのは国庫収入であり、これで国債の毎年の利子と償還を保証しなければならない。そこで近代的な租税システムが、国債システムを補うために必要不可欠となる。国債を発行することで政府は特別な支出をまかなうことができる。その際に納税者はすぐには何も感じることはないが、その帰結として増税が必要になる。他方では次々と借り入れた国債が累積していくとまた増税が必要となり、そのため政府は新たな特別支出を行う際にはいつも、ふたたび国債を発行せざるをえなくなる。

 近代的な財政の基軸となるのは、生活必需品への課税であり(その結果として生活必需品の価格が高騰する)、そのために近代的な財政はみずからのうちで自動的に累進していく萌芽をそなえているのである。過大な課税は偶発的な出来事ではなく、むしろその原則である。(資本論第1巻IV中山元訳p462)

相続税の矛盾

相続対策で一番効率がよいものは何か。

 

1.教育にお金をかける

2.会社を継がせる

3.資産を継がせる

 

2は会社を継ぐ能力も必要となることから、必然的にそれに伴う教育費も含まれることになるだろう。つまり2は1も含む。3の場合も財産管理の知識は必要だろうが、会社経営程ほどの知識は必要ないだろう。税制面で言うと1は課税対象とはならない。2は株や事業用資産が課税対象となる。3は相続した資産が課税対象となる。1、2は承継者が直接リスクを負うこととなるが、3はリスクはない。

 

どれが一番効率がよいだろうか。教育にお金をかけず、子が自立できなければ、子の生活費負担まで発生する。子の老後までの面倒を見ようとすると、お金はいくらあっても足りないだろう。税制的にも、社会的にも1の対策が望ましいのではないだろうか。ただし、いざ相続対策となった時点で考えても教育には一足飛びに対応はできない。これが唯一の難点である。

 

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 金持ちの親が子供に資産を残してやりたいと思ったら、いろいろなやり方が可能だ。たとえば資産を教育費に投じて、公認会計士の勉強をさせ資格をとらせることができる。あるいは事業を興して跡を継がせることができる。あるいは信託基金を設定し利息や運用益が入るようにしてやることもできる。どの方法をとっても、何もしてやらない場合より子供の収入が増えることはまちがいない。だが、第一の方法では本人の能力による収入、第二の方法では本人の働きによる利益とみなされるのに対し、第三の方法では相続財産による収入とみなされるだろう。しかし、この三つを区別するまともな根拠があるとは私には思えない。それに、自分の能力や才能で生み出した富は好きにしてよいし、自分が築き上げた富が生む利益も好き勝手にしてよいが、富を子供に譲るのは認められないというのは、つじつまが合わないではないか。ミルトン・フリードマン「資本主義と自由」村井章子訳p298-299) 

自由主義と法人税

 日税連の機関紙である「税理士界」(平成28年11月15日付)に、「税理士が絶滅危惧種に陥る日」と題した記事がある。AIの進化によってしても、実質基準や事実認識の判断にはまだまだ及ばない。ましてや税務調査、税務相談は無理だろうというものである。次いで「申告納税制度は自由主義国家における税の世界で最も民主的な手続きとして長い歴史の中で定着してきた。」、「税理士制度はその申告納税制度に極めて重要な役割を担う、いわば自由と人権を尊重し守るために、社会にとってなくてはならない、かけがえのない財産である。」とし、「税理士がなくなる日は永久に来ないものと確信する。」とまとめられている。

 ところで自由主義国家における税とは何であろうか。その答えはたえず宙に浮いている。新自由主義を代表するミルトン・フリードマンの主著「資本主義と自由」によれば、自由主義においては、法人税は廃止すべき税であると主張している。国際的な法人税引き下げによる底辺への競争が加速する中、法人税廃止論もどこからかわき上がってくる可能性は否定できない。法人税がなくなれば税理士もなくなる。そんな時代も可能性としてはゼロではないように思う。

 

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 独占を根本から防ぐもっと効率的な手段は、税制改正である。まず、法人税は廃止すべきだ。また法人税を廃止してもしなくても、企業は配当として払い出さなかった利益も株主の所有に帰すべきである。具体的には配当金の小切手を送付するときに、次のような報告書を添付する。「株主の皆様には、一株当たり○○セントのこの配当金に加え、一株あたりXXセントの利益がございます。こちらは弊社が再投資いたしました。」報告を受けた株主は、配当金だけでなく、自分のものではあるが、配分されなかったこの利益も所得税の申告に含めなければならない。この仕組みでも企業が再投資するのは自由だが、再投資に回す利益を明言する以上、株主が配当を自分で別途投資するより企業の投資効果の方が高いときしか、再投資できなくなるだろう。これは、資本市場や企業活動を刺激し、競争を活性化するきわめて効果的な手段だと信じる。(ミルトン・フリードマン「資本主義と自由」村井章子訳p247-248)

スミスの租税原則

 スミスの有名な租税原則。「能力にできるかぎり比例」という部分をとりあげれば応能負担説ととれる。一方で租税を「国家の保護」を根拠とし、不動産の管理費に例える部分では応益負担説であるともとれる。

 

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1.すべての国の国民は、政府を支えるために、各人の能力にできるかぎり比例して、つまり各人が国の保護のもとで得ている収入にできるかぎり比例して、税金を負担するべきである。大国の国民にとって政府の支出は、不動産の共同所有者が各人の持ち分比率にしたがって支払わなければならない管理費に似ている。

 

2.各人が支払う義務を負う税金は、恣意的であってはならず、確定したものにするべきである。支払いの時期、支払いの方法、支払い額のすべてが納税者に、そしてすべての国民に明確で分かりやすくなっていなければならない。そうなっていない場合、納税義務を負うものはみな、多かれ少なかれ徴税人に支配されることになる。徴税人は気に入らない納税者には税を重くできるし、あるいは税を重くすると脅して、賄賂を強要できる。

 

3.どの種類の税金も、支払の時期と方法がともに、納税者にとって便利である可能性が高いものにするべきである。土地の地代か住宅の家賃に課す税金は、地代や家賃が通常支払われる時期に徴収すれば、納税者にとって便利である可能性がとくに高い時期、支払いができる可能性がとくに高い時期に納付されることになる。贅沢品などの消費財に課される税金はすべて、最終的に消費者によって負担され、一般に消費者にとってとくに便利な方法で支払われる。商品を買うたびに、少しずつ支払っていく。消費者には買う自由も買わない自由もあるのだから、そうした税金で大きな不都合を被るとすれば、それは本人の責任だといえる。

 

4.どの種類の税金も、国民から支払われるか国民の受け取りを減らして徴収する金額と、国庫に入る金額との差ができるかぎり小さくなるように設計するべきである。

スミスの”戻し税”

スミスは輸出奨励策の一部として”戻し税”を理解している。そのうえで”戻し税”制度により「国内の税収は若干減少し、関税収入はかなり減少する。だが、産業の自然な比率、自然に生まれる分業と労働の配分は、関税や物品税のために多少なりとも乱されるのだが、戻し税制度によって本来の姿に近づくだろう。」と位置付けている。輸出奨励金制度の批判とは逆に”戻し税”については肯定しているのが興味深い。”戻し税”を税による価格の歪みの補正とみるか、輸出企業の補助金とみるか、原論的な分かれ目はこの部分の立ち位置にあるのではないだろうか。

 

注意が必要な点は”戻し税”の定義である。国富論ではほとんどの場合で「輸入品を再輸出する際の輸入関税の払い戻し」を意味している。輸出に際しての国内消費税の払い戻しという意味では用いていない。

 

現在ヨーロッパではEU委員会を中心に消費税の輸出免税制度廃止が提起されている。理由は不正還付の増大だそうだ。スミスは”戻し税”の不正についてもこう指摘している。

 

 戻し税は、輸出に際して還付が認められた商品が確かに外国に輸出される場合だけに有益であり、対象になった商品がこっそりと再輸入されるようであってはならないことに注意すべきだ。戻し税の一部、とくにタバコの戻し税ではこのような悪用が多く、財政収支にも正直な商人にも打撃になる不正行為が頻発していることはよく知られている。(アダムスミス「国富論」第四編第四章)

 

国富論」第四編第四章は非常に短い章ではあるが、現代においても示唆に富んでいる。

資本論第2巻

誰もが挫折する資本論第2巻。

ここでは資本家と労働者の対立は脇におかれ、資本の循環モデルを明らかにしている。

「純粋な資本の運動」を観測する中で資本主義社会の制約が浮かび上がってくる。

 

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 「純粋な状態における資本」という観念はマルクスにとって重要である。なぜなら、恐慌に直面した場合、この恐慌は何らかの不純さのせいだとか、「純粋で」完璧な資本主義的生産様式がうまく機能しなかったせいであると言ってすますことが常に可能だからである。われわれは、この数年間というもの、新自由主義者たちからさんざん次のように聞かされてきた。問題は-と彼らは言う-、市場資本主義の新自由主義的モデルそのものの内部に存在する何らかの深刻な矛盾にあるのではなく、新自由主義の命じるところにきちんと従わなかったことにあるのだ、と。それゆえ彼らの解決策は、緊縮政策を推し進め国家権力をますます無力化することを通じて資本をもっとさらに純粋な状態へと回帰させることである。だがマルクスが示そうとしているのは、恐慌が純粋きわまりない資本主義的生産様式の存続そのもののうちに内在し、それに必然的に伴い、その固有の病だということである。どれほど間に合わせの規制改革をやろうとも問題を解決することができないだけでなく、むしろ経済がその純粋な状態に接近すればするほど、おそらく恐慌はますます深刻になるだろう。

デヴィッド・ハーヴェイ『<資本論> 第2巻・第3巻入門』p30)