資本論を読む

資本論』は読む人によってさまざまに語られる。

経済学理論書であり、経済学批判書であり、文学作品であり、哲学書であり、ノンフィクション作品であり、予言書である。

いろいろな人が語るものを読むよりも、まず『資本論』そのものを読む。

100の解説よりもナマの『資本論』が一番面白い。

 

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 たしかに、われわれは皆『資本論』を読んできたし、いまも読んでいる。もうすぐ百年にもなろうという年月に、われわれの歴史のドラマと夢のなかで、論争と対立のなかで、いまもわれわれの唯一の希望にして運命である労働運動の挫折と勝利のなかで、われわれは、毎日、誠実に『資本論』を読んできた。われわれが「この世に生まれて」このかたずっと、上手下手はともかくわれわれのために『資本論』を読んでくれたひとびとの著作や言説をたよりにして、われわれは『資本論』を読み続けている。その種のひとびとは、時代遅れのものもいれば、まだ生き続けているものもいるが、エンゲルス、カウツキー、プレハーノフ、レーニン、ローザ・ルクセンブルクトロツキースターリングラムシ、労働者組織の指導者たち、彼らの味方と敵、哲学者、経済学者、政治家などがそうである。われわれはは彼らの書いた断片を、状況がわれわれのために選んでくれた「抜粋集」を読んだ。われわれの誰もがともかくも『資本論』第一巻を、第一章の「商品」から結語の「搾取者たちが収奪される」までを読んではいる。

 けれども、いつかはきっと、『資本論』を文字通りに読まなくてはならない。テクストそのものを。

ルイ・アルチュセールほか『資本論を読む』)